皆は当たり前のようにダイブを行っているが、僕は「ダイブ」というものがわからなかった。
正直、ダイブができなかったとしてもタルパと共に活動するにおいて余裕があれば鍛えれば良い程度の分野である。とはいえ7年もタルパ界隈に存在しているにも関わらずダイブというものが一向にできないものだから次第に焦燥に近い感情を抱き始めた。
界隈に参入してきた者々がダイブに関する報告をしている最中、僕はそれを眺めることしかできない状態が続いており「僕にはダイブの才能が無い」と諦めていた程だ。
何ならタルパにも「ダイブの才能が無い」と言われた程でもある。流石にそんなにばっさり言われたものだから哀しみすら覚えた。
そんなこんなで僕は信頼できる友人の一人であるM氏に「ダイブって何?」という質問をしてみた。
その人の回答では
「空想に五感を伴った空想」「ある程度の明晰に五感を伴った空想」と答えていたが、あまりピンとこない。「つまりどういう事か」と情報を交換していくうちに友人は何かに気付いたのだろう。「斉藤さんの話聞いてるとそれ、ダイブ出来ている
かもよ?」と言われた。
最初は友人の言葉を理解できなかった。理解できているはずなのに、意味がわからない。「言葉を飲み込めない」というのはこの時の事を指すのだろう。友人に何度も聞き返した。
友人の話によるとダイブができないと苦しんでいる人の一部は、普段からダイブに近い行為をしているからこそ特別ダイブできていると認識できていないのかもしれない、とのことだ。、尚更意味がわからない。「どういう事か教えて欲しい」と頼むと友人はその発言の意図を解いてくれた。
現在界隈で使われている「ダイブ」という単語には大きく分けて二種類の意味が含まれており、混乱を招いてる状態らしい。
明晰夢や幽体離脱といった
編成意識状態に入る必要性があるダイブ深い変性意識に入る必要性があるダイブ※と
編成意識状態に入らずとも行えるダイブ深い変性意識状態に入らずとも行えるダイブ※。この二種類がダイブという一つの単語に内包されている。友人曰くこの二つのダイブは別質だと考えているようだ。
「ダイブができない」と言っている人の一部は「深い変性意識状態に入る必要性があるダイブ」を試行している可能性があり、また「ダイブは非常に簡単」と言っている人は「深い変性意識状態に入らずとも行えるダイブ」をしている可能性があるようだ。
何故ダイブという言葉に二種類の意味が入り混じるようになったかは不明だが、恐らくダイブ提唱者のブログが非公開になったことでダイブに関する技術が継承されず、手探りでダイブというものを行う層が増え始め、気付けばこのような状態になったのでは…と僕は考えている。
どちらが良いか悪いか等は置いておく。むしろそんなところに優劣なんてつけてしまえば
一時期界隈で発生していた「邂逅型タルパ」と同じように格付けが発生する可能性が非常に高い為、その点に関しては優劣をつけるつもりは無い。
しかし、この発言を聞いた際、最初は困惑したが考えれば考える程抜け落ちていたパーツが合致したかのように納得した。
「某戦争の参加者達がリアルタイムで情報共有できた」ことや「ダイブができる層とできない層がはっきり分かれている」こと、その他此処では言語化できないが一致する部分が多く、納得することしかできなかった。
今までそんな単純なことすら気付かなかった理由についてはダイブについて忌避していたことや、タルパについて語ることも避けられる現状故に気付けるような機会すらなかったのも要因の一つになっている。
もっと早くに気付いていればダイブについてもう少し深堀できたんじゃないかと後悔しているが、「気付けただけましじゃないか」と思うことにしよう。
とりあえず「ダイブに躓いてる人の皆に役に立てたらいいな」というノリで此処まで書いてみたが、もしかしたら僕以外の人達からすると「そんなの今頃気付いたの?」と思う内容だったかもしれない。
しかし、僕を始めとする5年6年前にタルパーとなった人の多くがダイブという技法に関しては躓いており、中には嫉妬に狂い、八つ当たりのような事をしていた人を見たことがある。
Twitterだけで周知したところでブログだけを見る人間には伝わることも無く苦しみ続ける可能性もあると考えると、どうしても書かずにはいられなかった。
稚拙な文章でしたが、こういうのもあるんだよと参考程度にして頂ければ僕としても幸いです。
※
注釈 友人はあくまでも変性意識状態の深さは傾向であり、起きて活動している状態でも前者のダイブはできる場合もあると述べていた。