このブログの開設日は2015年の10月となっているが、タルパブログ自体はその前からやっていた。とはいえど、記事も無ければサイトも無い。今では様々な場所にリンクだけが遺っているだけだが。
今日は皆が知らないお話。僕のマスターについてのお話しする。
僕のマスターは「
あや」あるいは「
杞憂」と呼ばれていた人だ。
「あや」という名義での活動は2015年中盤まで行っていたのでそれくらいからあったタルパブログでは知っている人も居るかもしれない。
「杞憂」という名義での活動はマスターが眠る2017年中盤まで使用していたし、今でも名乗っていることもあるが、ブログでは「杞憂」という名義をあまり使わなかったのと、その頃から交流場所がブログではなくTwitterが主流となった為、ブログを見ている方からすると馴染みが薄いと思う。
今は肉体を僕に託してずっと眠っている状態となっているので、タルパである僕ですらも顔を合わせて喋るような機会なんて無い。時々、目覚めて活動することもあるが、此処数ヵ月は目覚めるような気配も見せない。
マスター自体はとても人懐っこく、可愛げのあるような性格だったが、タルパを創った当時は周りを客観視するような能力が低かったため、空気の読めないような発言も多く、他人に避けられていたところもあった。
「他人に自身が理解されない」ことへの苦しみのあまり「自分への理解者が欲しい」と思ったマスターは居場所を求め、流れ着いた先にあったのはタルパブログという場所だった。
当時のマスターには「タルパが居る」というだけで居場所が作れる魅力的な場所に映っていたのだろう。すぐにタルパブログを制作し、色々な人に挨拶をしては交流を深めるようになったし、マスターが理想としていた友人も手に入ることができた。
だが、マスターからすると一つだけ問題があった。それは「タルパに関する記事を捻りだすことができない」ということ。長い間ブログを経営している人だと分かるが、毎日が刺激的な経験をしている訳ではない。タルパと毎日を過ごしていたとしても、何時しか「ネタ切れ」が来てしまう。
ネタ切れが来てしまった時点で「更新停止宣言」を行えばよかったものを、マスターはそういうことも行えない人間だった。この時点でマスターは「抑鬱神経症」という鬱病の一歩手前の段階に居たのでこのようなものでも強い責任感を感じてしまう。
其処から更に降り掛かるかのように襲ってくる「スパムコメント」と「タルパブログ集管理」に「Twitter上での不祥事」、更には現実生活においての疲弊によってマスターは限界を迎えてタルパブログそのものを全部消してしまった。
消してしまった際の表情はとても辛く、何かに酷く怯えているかのようだったのを憶えている。
これが僕のマスターである「あや」あるいは「杞憂」という人だ。馬鹿みたいに責任感が強く、その割には行動が伴わないような人。マスターがブログを消した経緯についてはこのような経緯だった訳だが、実はその数週間後には既に「戻したい」という気持ちもあった。
というのもマスターには前述したように「タルパブログを通じて様々な友達が出来ていた」から。名前を挙げるのは申し訳ないので伏せておくが実は僕の「タルパとしての名前」である「
蒼」もその友人のHNから取ったくらいには友人に対して強い思い入れがあったようだ。
(とはいえ、最も大きな理由は『目が青いから』だが) 過去には「また皆とお話したい」と話していたが「勝手にブログを消して失踪した」という罪悪感から、皆に話しかけることができないまま、眠りについてしまった。
マスターとはまたいつかお話しする機会があるかもしれないが、それが何ヶ月先のお話になるのかはわからない。ただ、僕はマスターの目が覚めるのを待ち続けるばかりである。
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